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主のご降誕を心からお喜び申し上げます。

ご降誕15

12月8日から「いつくしみの特別聖年」が始まりました。みことばを通してイエス・キリストのうちに御父のいつくしみを見出し、いつくしみ深いものとなれるように御父に願い求めていきたいと思います。

また、ドミニコ会が会として認可されて800年を迎えています。

この恵み深い年、幼子イエスのご降誕を迎え、いつくしみ深い父に、この世界が平和と喜びで満たされますようにとお祈りいたします。
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「ドミニコとはどんな方?」 6

「祈りの人」 Ⅰ   シスター武田教子

ウオ-カソン

     幸いなるドミニコは、長い時間祈った後でなければ休みに行くことはありませんでした。彼はしばしば多くの呻き、嘆息、叫     びを発しながら祈るので、その声で仲間たちは何度も起こされました。・・・こうしてドミニコは眠る時間より祈る時間の方が     長かったのは確かです。・・・彼は無益な言葉を避け、いつも神と共に、あるいは神について語っていました。
                              ―――(ボローニャの列聖調査での兄弟ギョーム・ド・モンフェラの証言)

 兄弟ドミニコと共に生活したすべての人、多少とも彼に近づいたすべての人、彼の列聖のために質問されたすべての証人は彼の祈りの強烈さを強調しています。ドミニコは、人が呼吸するように、自然に祈りました。彼には本を書く時間、祈りについての本さえ書く時間がありませんでした。彼は祈りました。それは勿論、特に夜でした。彼にとって、夜は祈るためにありました。
 彼がまだ若い修道者であった頃すでに、人々の目に祈りの人と写っていました。

彼は芽を出したオリーヴのごとく、雲まで届く糸杉のごとく、毎日毎日をとぎれることなく祈りながら聖堂で過ごした。観想のすさ  びに身をまかせ、修道院の壁の外で姿を見るのはまれであった。神は彼に罪びとのため、不幸な人のため、悲嘆にくれる者の  ために泣く恵みを賜った。彼らの困窮は彼の魂の奥深くまで動かし、外には涙となって流れ出した。夜を祈りに過ごし、戸を閉   めて父に祈りを捧げた。神との聖なる会話の間、心の叫びは声にも出て、遠くからでも明瞭に聞き取れるほどであった。
                                                     ―――(ジョルダン・ド・サクス著、リベルス)

 聖ドミニコにおいて、祈りは人間の全機能を動員するものでした。頭だけで、あるいは心だけで祈るのではありません。彼は自分の手で祈ります、腕で祈ります、背で祈ります、脛で、足で祈ります。彼の祈りは頭と心と体全部で行われました。

 ドミニコに学ぶとき、私たちは自分の存在全体で祈ることを学びます。ドミニコに倣うことができるためには、祈るドミニコをじっと飽かずに見ていたセシリア修道女のように、まずドミニコをよく見なければなりません。ドミニコの祈りの内容は態度に表されていました。主要な点は次のようです。

 真実にそこにおいでになるお方の前に真実に出るために、まず信仰をもって彼の前にひれ伏さなければなりません。このようにして、彼はときに、あたかも、祭壇によって表されているイエス・キリストが、本当に、人格的にそこにおいでになるかのように、謙遜に祭壇の前にひれ伏して祈りました。
プロフィール

聖ドミニコ女子修道会

Author:聖ドミニコ女子修道会
長い歴史があるキリスト教カトリックの女子修道会です。日本では、学校や幼稚園、児童養護施設でキリスト教に基づく教育をしています。また、教会、病院、黙想の家、その他でも<みことば>を伝えています。

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