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「死者の追憶」

 日本来日88年目を迎える修道会。1971年来日40周年を迎えた際に「死者の追憶」として書きとめられた一文を紹介します。お書きになったシスター𠮷成も1985年に亡くなられています。このようなシスターたちの「奉献」によって今があります。この思い出を皆さまと分かち合いたいと思いました。

いちご

 
 時の早瀬に星影をうつして流れ去った40年を静かにふり返って一番印象に残っているのは、故スール・ジャンヌ・ルイズの聖徳でありましょう。フランスはローレン州の一農村に生まれ、熱心なカトリック信者の家庭で養育され、1919年助志願者として入会、渡日なさいましたのは1932年の秋でありました。はじめてお目にかかったのは渡日の数日後、秋晴れのさわやかな日でした。少しも飾り気のない初対面の挨拶に人柄が反映していたのでしょう。とてもいい印象を受けました。1949年9月3日の帰天まで17年間、再び故国の土を踏むことなく、修院内のかくれた労働に専念なさいましたが、一緒に暮らした17年間に、修道女として相応しくない言動はただの一度もお見かけしたことがありませんでした。彼女は目立たない存在でしたが、特に目立っていたのは長上と歌隊の姉妹に対する尊敬でありました。わざとらしいところは少しもなく、へつらったり、気嫌を取ったりするようなこともなく、自然に身についた慎ましい謙虚な態度でありました。非常に強い性格であったにもかかわらず、よく自分を克服して、人に対しては優しく親切でありました。祈りに対する熱心な態度をみても、神との深い交わりから、彼女はすべてを汲みとっていたようでした。彼女の権威に対する服従は、彼女がどんなに深い修道精神に生きていたか、その一端を私共に示しておりました。長上が年下であろうが、誓願が若いものであろうが、フランス人であろうが、日本人であろうが、アメリカ人であろうが、彼女にとっては問題ではありませんでした。彼女は又ごまかすことを知りませんでした。晩年健康が勝れず、手がむくんで巧みに針仕事も出来なくなりましたが、失敗した時は失敗したままを見せて、課せられた償いを果たしておりました。自分の地位をわきまえ、いつも控え目でしたが、休憩時間には快活で、フランス人特有の冗談を云って、楽しそうに打ちとけて談笑しておりました。十七年間、言葉によって布教することは全然ありませんでしたが、修院内の人目に立たない仕事をとおして、長上と姉妹等に奉仕しながら、完徳の道を歩み、自分のことはさておき、常にコミノテ(修道院)の善のために、、すべてを忠実に果たしておられました。彼女は修院内の手仕事の全責任を持っておりましたが、お手伝いの姉妹方に対して権利を振りかざして命令するようなことはなく、どんな場合にも謙虚な態度を持ちつづけておりました。強い信念の人であった彼女は、実直で、容易に人の甘言に左右されるようなことはありませんでした。すべての姉妹を尊敬していた彼女は、誰からも尊敬され、慕われておりましたのは当然のことでしょう。
 彼女は日本に着いてすぐ仕事に従事しましたので、日本語を習得する暇などなく、T園(児童養護施設)の大きい子供達(十三才位)と一緒にお掃除をしようと、或る日のこと「くもの巣をとりなさい」という代りに「くもをしなさい」と申しましたので、一人の子供はいきなり手足をにゅーっとのばして、くもの恰好をしてはしゃぎ廻るといった始末でようやくなだめてお掃除の終る頃に「ごみとり」の代りに「ごみのとりをもってきなさい」と申しましたら、子どもは又もや小鳥のように両手をばたばたさせながら飛び廻って、折角はき集めたごみをまきちらしたこともあり、どんなに忍耐が必要だったことでしょう。その子供も成人して家庭を持ち、あばれ廻った時から十六年後に応接間に安置されたスール・ジャンヌ・ルイズの亡骸の側らで、おえつにむせびながら祈っておりました。きっと子供の頃を思い出してお詫びをしていたのでしょう。
死去の一年前、彼女は故メール・カトリンヌ・ドミニック総長の許可を得て、日本のために自分の生命を奉献する決心をなさいました。奉献から恰度一年を経た日に、神は スール・ジャンヌ・ルイズをお許にお呼びになりました。通常どおりごミサに与り、朝食後一姉妹に頼まれた布切れをとりにアトリエに行き、いつもの微笑を以てその姉妹に手渡してから、仕事の前掛をつけて小室のお掃除をしている間に卒倒し、三十分後には雑巾を側らにおいたまま、コミノテがサルヴェを歌い終わらない中に静かに息を引きとりました。「人は生きたように死んでいく」との言葉のとおり、最後まで人に奉仕することを怠らなかった彼女は、聖徳の模範を残して地上の生涯をおえましたが、死後日本における修道会の発展を見ますにつけ、共に過ごした十七年間をなつかしく思い浮かべながら、心からの敬愛と感謝とを霊前に捧げたいと思います。故メール・カトリンヌ・ドミニック総長は第一回目の訪日に際し、姉妹たちの前で「スール・ジャンヌ・ルイズは本当に聖人でした」と仰いました。真に聖徳の人だった彼女は真の祈りの人でした。復活を待つ間、鶴ケ谷の墓地に眠るスール・ジャンヌ・ルイズの墓標の下方には彼女の一生の要約として「グロリア・パトリ・エト・フィリオ・エト・スピリ・テュイ・サンクト」とラテン語で銘記されてあります。 
  神を賛美しつつ         1971年 秋
                                            スール・アンジュ・マリアO.P

紫蘭

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聖ドミニコ女子修道会

Author:聖ドミニコ女子修道会
長い歴史があるキリスト教カトリックの女子修道会です。日本では、学校や幼稚園、児童養護施設でキリスト教に基づく教育をしています。また、教会、病院、黙想の家、その他でも<みことば>を伝えています。

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