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「聖ドミニコの生涯」

「聖ドミニコの生涯」 シスター武田 教子 「オスマの参事会員」 2

ふよう


 その大事業とは、何であろうか?長い戦争が終わり、王や諸侯が所領に帰ってきたとき、彼らは、兵士や農民の定着を促し、村をつくったが、同時にその人たちの宗教生活の世話もしなければならなかった。これは、回教徒の手から領土を奪還したカトリック諸侯と教会の共同事業であった。そして、これは、グレゴリオ大改革に取り組む教皇庁とも共同の事業であった。
 グレゴリオ七世教皇に始まった大改革は、まず、人里離れた聖域としての修道院の改革を手がけたのであるが、十一世紀末にはこの改革が世に向けられ、一般人の住むこの世をキリスト者としての目標に向かわせることに努力を集中し始めた。カスチリア地方の修道者は、この改革の推進者となる。クルニ―の修道院は、カスチリア地方の教会の再興の為に王の最も良き協力者となり、偉大な修道者たちを数多くこの地に送る。そのうちのひとり、セディラックのベルナルドは教皇勅使に任ぜられ、ローマからの帰途、南仏を通りながら、修道院や教会から多くの修道者や司祭を集めてカスチリアに伴い、この地の教会活動の協力者とした。こうして、カスチリア地方のみならず、トレド、セコビア、パレンシア、サラマンカ、コンポステル、コインブラ、ブラガ、バレンシア、
サゴンテ等の教会も、これらの司祭たちの手によって復興されていく。オスマの復興に働いたのも、こうした司祭たちであった。
 折しも、アルフォンソ七世の治下、スペインは統一をとりもどし、ローマや西欧の諸国のつながりも強化されてきていた。国としても、宗教的にも、スペインはヨーロッパの他の国々、キリスト教会全体との交流をとりもどしていた。もしこのようなことがなかったら、ドミニコは、あのドミニコたり得なかったであろう。スペインがヨーロッパに開き、ヨーロッパもスペインに向って開いていたからこそ、カスチリアで準備されたドミニコが、全世界を働き場とする説教者兄弟会を設立することことを思い立つことを得、また、それを実行することを得たのである。
 しかし、十二世紀後半にはクルニ-からの修道者の渡来も途絶え、より地域に根差した活動が行われるようになる。このとき、中心となったのが、オスマの司教座参事会であり、その司教マルチノと参事会院長のディエゴであった。
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聖ドミニコ女子修道会

Author:聖ドミニコ女子修道会
長い歴史があるキリスト教カトリックの女子修道会です。日本では、学校や幼稚園、児童養護施設でキリスト教に基づく教育をしています。また、教会、病院、黙想の家、その他でも<みことば>を伝えています。

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