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「聖ドミニコの生涯」 シスタ-武田教子

「聖ドミニコの生涯」 シスター武田教子 「オスマの参事会員」 3

夏1


 教会改革の仕事を進めるに当たって、最大の壁は、司祭たちの無知と生活の乱れであった。とすると、何故ディエゴがドミニコをオスマの司教座参事会にさそったかがうなずけるであろう。彼こそは、まさに、この改革の大事業の最も良き協力者となる者だったのである。
 オスマの司教座参事会は、聖アウグスチヌスの戒律を採用していた。これは、聖アウグスチヌスが、共同生活を営む婦人たちに与えた、味わい深い種々の勧告を含む手紙であるが、次のようにはじまる。「あなたがたは、共に集まっているのであるから、あなたがたの家でひとつ心で生きなさい。何物も自分の物とは言わず、すべてを共有にし、長上が各人に食物や衣服を分配しなさい。しかし、皆が同じ健康状態ではないのだから、皆に平等に分けるというのではなく、各人の必要に応じてわけなさい。使徒行録に、『かれらはすべての物を共有にし、おのおの必要に応じて分配していた』と書いてあるのはこのことである。」
 テキストを見てわかるように、この戒律を採用するということは、初代教会の使徒たちが理想としていた、その同じ生き方をしようということである。そして、当時の教会にあって、「初代教会にかえり、使徒たちの生活にならおう」の語は、教会改革の合いことばであり、心を天にあげる叫びであった。
 「参事会員の中で、ドミニコは、すぐに明星のように輝き出した。彼はもっとも謙遜でもっとも聖なる者であった。その見事な霊の飛翔に誰もが目をみはった。」と伝記はいう。ドミニコは、この新しい生活の始めにあたって、カシヤンの「砂漠の師父たちの説教集」を愛読する。こうして内的生活を深めると同時に、司教座聖堂での聖務日課-参事会員本来の役目ーに熱心にはげむ。使徒たちも、エルサレムの神殿で毎日祈っていたではないか(使徒言行録2・46)。彼は生涯の終わりまで聖務日課を愛し、ここに力と喜びを汲む。
ドミニコは、司教座参事会員として誓願を宣立して後、間もなく司祭になる。彼は25才になっていた。司祭となるための最低年齢である。司祭!今やドミニコは、ミサを捧げること、説教することができるようになったのである。一一九九年八月十八日付の文書では、彼は香部屋係り、即ち、司教座聖堂の典礼生活の責任者になっている。そして、二年後の一二〇一年一月十三日には、28才ないし30才の彼は、参事会の副院長であった。
 ドミニコは、今や、あらゆる意味で使徒となっていた。使徒の生活をするとは、人びとにキリストを与えることに自らを与え尽くすことである。ドミニコのひそかな祈り、「人びとに救いを得させる為に一生懸命に働く真の、そして効果的な愛をお与えください。」は行動に移され始めた。
 しかし、神は、ひそかに、よりすばらしい畠を準備しておられた。
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聖ドミニコ女子修道会

Author:聖ドミニコ女子修道会
長い歴史があるキリスト教カトリックの女子修道会です。日本では、学校や幼稚園、児童養護施設でキリスト教に基づく教育をしています。また、教会、病院、黙想の家、その他でも<みことば>を伝えています。

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