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[聖ドミニコの生涯 シスター武田教子]

[聖ドミニコの生涯 シスター武田教子] 「ファンジョー、プルイユ、ツールーズ」Ⅱ

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 ドミニコが立っていた高台の下、畠の中を徒歩で二十分位行くと、東西南北の道が交錯する地点がある。プルイユである。言い伝えによろと、ドミニコが、夜、この高台で祈っていると、三晩続けて、火の玉が夜空を横切り、旋回してプルイユの教会の上にとまるのを見た。ドミニコはそこに神からのしるしを読みとり、この交通の要所、プルイユに宣教の拠点を設けることになる。このできごとを記念して、この高台は今もセニャドゥ(神のしるし)と呼ばれている。
 封建時代の初期、プルイユは或程度の重要性をもっていたが、ディエゴ、ラウル、ドミニコがプルイユ周辺で活動をはじめた頃は、見張り塔はこわされ、代わりに風車がたっていた。教会もすっかり荒れて、ファンジョーの教会の附属教会になっていた。十二世紀、ロラゲ一帯は、ツールーズ対ベッジェ・カルカッソンヌの勢力争いの場だったので、平地のプルイユは守り難く、人びとは周囲に散ったが遂にはそこも捨てて、農民も貴族もファンジョーの城壁の中にのがれたのである。
 「イエス・キリストの説教」は、間もなくプルイユに何人かの信者を得た。荒れはてていたプルイユの教会で祈りやミサが行われるようになった。ところが、ここで何人かの婦人たちの改宗があり、宣教は新しい展開をする。
 先に、カタル派の婦人たちが自宅を開放して説教者の世話をしたり、説教や儀式の場を提供していたとのべた。多くの婦人たちは更に、完全者の共同体を営み、自分たちの財産も労力もすべて提供して、カタル派説教者たちの宣教活動を支え、説教者たちが憩い、食事をとり、宿泊して力をとりもどして再び宣教にでかけていくセンターの役割りを果たしていた。また、共同体の中に若い娘たち、時には七才、五才、二才の幼児まであずかって、自分たちの信念に従って教育していた。こうした婦人や娘たちのある人びとがカトリックに改宗したのである。彼女たちは、家族がカタル派なので、家族のもとに帰るわけにはいかなっかたばかりでなく、熱心な信仰者として今までカタル派の中でしてきた生活に匹敵する生活の場を、カトリック教会の中で見いださなければならなかったのではないか。
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プロフィール

聖ドミニコ女子修道会

Author:聖ドミニコ女子修道会
長い歴史があるキリスト教カトリックの女子修道会です。日本では、学校や幼稚園、児童養護施設でキリスト教に基づく教育をしています。また、教会、病院、黙想の家、その他でも<みことば>を伝えています。

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