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「聖ドミニコの生涯」 シスター武田教子

 「聖ドミニコの生涯」 「説教者兄弟会の誕生」Ⅱ

秋1


 現代の感覚では、これは大して不思議なこととも思われないであろう。しかし、個人にではなくひとつの共同体に、期間の区切りなく永続的に説教の権利が与えられるということは、全く新しい、破格のことであった。これは、教会の司牧システムを変えることであった。
 「十分の一税の三つ目の三分の一の二分の一」とは何を指すのであろうか。旧約時代、人びとは収入の十分の一を神殿に納めていたが、その習慣を受けて信徒が教会に納めるものを十分の一税と呼んだ。フランスとスペインでは、教会法により、この十分の一税を三つに区分した。最初の三分の一は司教のため、次の三分の一は司祭のために用いられた。そして、三つ目の三分の一は、教会の建物のため、および貧しい人のために用いられるべきであった。財産も持たず、報酬なしに説教してまわった説教者たちは、貧しい人とみなされたわけである。
なお、さきのフルク司教の文書には、「もし、一年の終わりに残余金があるなら、それは司教にかえし、司教はそれを教会の建物のため、あるいは貧しい人のために用いるものとする。」とつけ加えられている。ドミニコとその兄弟たちは、ほんとうに必需品だけを受けたわけである。
 三分の一の二分一の用途の中に、食物が入っていないのに気づかれたかもしれない。当時「キリストの最初の弟子たちに倣った説教者」というとき、馬に乗らず、金銭も持たず、食物は戸ごとにまわって施しを乞い、説教行脚では人の厚意にたよって宿泊するということを意味した。それは、イエスがはじめて十二人の弟子たちを説教行脚に派遣なさったときのおことばに従うものである。
 「金銀や銅貨を、帯に入れてはならない。旅袋も、二枚の上着も、くつも、杖も、持っていってはならない。働く人は、当然、自分の糧を受けるはずであるから。」(マタイ福音書第十章九〜十節)
 しかしドミニコにとって、このような生活形態は、キリストや最初の弟子たちに倣うためだけではなかった。ドミニコの生涯の最も権威ある記録者であるジョルダン・ド・サクスは、次のように書いている。「それは、物質的な管理に心をわずらわされることなく説教に専心することができるためであった。」
 ここに、ドミニコの心を知ることができる。かれは、説教者にとって、精神の自由がいかにたいせつであるかをよく知っていたのである。
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聖ドミニコ女子修道会

Author:聖ドミニコ女子修道会
長い歴史があるキリスト教カトリックの女子修道会です。日本では、学校や幼稚園、児童養護施設でキリスト教に基づく教育をしています。また、教会、病院、黙想の家、その他でも<みことば>を伝えています。

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