「聖ドミニコの生涯」
「聖ドミニコの生涯」 シスター武田教子
生誕の地 2

この地方の宗教(カトリック)の中心地は、カレルエガから約数十キロメートル山あいを縫って行ったシロスにあるベネディクト会の修道院で、十一世紀にここの院長であったサント・ドミンゴ(聖ドミニコ)、は特に優れた指導者、徳の高い聖者として有名である。
ドミニコを宿したとき、母ホアナは、生まれる子の守護をこの聖人に願って墓前に祈りに来たといわれている。この修長様の名は現在地名に残り、シロスはサン・ドミンゴ・デ・シロスと呼ばれている。当時の信仰あふれる美しい石造り修道院は、今も残っている教区としては、1136年以降、カレルエガはオスマ司教区に所属している。
しかし、カレルエガという村の名が公式文書に最初に見えるのは1202年である。前述の1136年のオスマの司教区に所属する町村名には、カレルエガの附近の小さな村の名も載っているが、カレルエガの名は無い。ということは、カレルエガは、当時は、ごく小さな取るに足らない村だったと結論することができよう。
カレルエガについて、少し長く説明し過ぎたと思われるかもしれない。しかし、環境は人をつくるという。気候のきびしい村、貧しい村、長い間戦場で、やっと平和をとりもどした村、しかも、何百年にもわたる宗教戦争でカトリックを選びとった村、これらすべては、ドミニコの人となりに影響を及ぼさずにはいなかった筈であるから、ドミニコを理解するバックとして心に納めておいていただきたい。
生誕の地 2

この地方の宗教(カトリック)の中心地は、カレルエガから約数十キロメートル山あいを縫って行ったシロスにあるベネディクト会の修道院で、十一世紀にここの院長であったサント・ドミンゴ(聖ドミニコ)、は特に優れた指導者、徳の高い聖者として有名である。
ドミニコを宿したとき、母ホアナは、生まれる子の守護をこの聖人に願って墓前に祈りに来たといわれている。この修長様の名は現在地名に残り、シロスはサン・ドミンゴ・デ・シロスと呼ばれている。当時の信仰あふれる美しい石造り修道院は、今も残っている教区としては、1136年以降、カレルエガはオスマ司教区に所属している。
しかし、カレルエガという村の名が公式文書に最初に見えるのは1202年である。前述の1136年のオスマの司教区に所属する町村名には、カレルエガの附近の小さな村の名も載っているが、カレルエガの名は無い。ということは、カレルエガは、当時は、ごく小さな取るに足らない村だったと結論することができよう。
カレルエガについて、少し長く説明し過ぎたと思われるかもしれない。しかし、環境は人をつくるという。気候のきびしい村、貧しい村、長い間戦場で、やっと平和をとりもどした村、しかも、何百年にもわたる宗教戦争でカトリックを選びとった村、これらすべては、ドミニコの人となりに影響を及ぼさずにはいなかった筈であるから、ドミニコを理解するバックとして心に納めておいていただきたい。
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