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「聖ドミニコの生涯」

「聖ドミニコの生涯」 勉学 4 シスター武田教子

チュウリップ


 スペインでは再び回教徒(サラセン人)との戦いが始まっていた。更にキリスト教の国同志も戦っていた。多くの兵士が殺され、あるいはサラセン人の捕虜となった。また、多くの難民が北へ北へと逃げて来て、既に飢饉にあえいでいたその地方生活を更に苦しいものにした。事実ドミニコがパレンシアにいた頃、殆どスペイン全土にわたるひどい飢饉があった。ドミニコは人びとが飢えで死んでいくのを見た。富める人たち、権威者たちはそしらぬ顔だった。ドミニコは黙って見過ごすことはできなかった。「貧者の苦しみに心を動かされたドミニコは、福音のすすめに従い、死んでいく人たちを救おうと決心した。彼は、自分の持っていた本―学生にとっては必需品であるにもかかわらず―とその他の持ち物を全部売り、施持所を設けて貧しい人たちに毎日食物をくばった。この行為は他の神学生や教授の心を動かし、この青年に比べて自分たちが卑怯で欲深いのをさとって、きわめて多くの施しをおこないはじめる者が出てきた。」という証言が残っている。
 ドミニコは、夜も眠らずに考え、味わってきた聖書の言葉をそのまま生きたのである。自分の手で註解を書き込んだ羊皮紙の聖書を売ったとき彼が言ったという言葉が伝えられている。「人びとが飢えて死んでいくとき、死んだ皮の上で勉強していることはできない。」
 たぶんこの同じ時期に、ひとりの婦人が泣きながらドミニコを尋ねてきた。彼女の兄弟がサラセン人にとらえられているというのである。「愛に駆られ、同情にあふれて、ドミニコはその兄弟を買い戻すために自分自身を売ろうとしたが、主はそれをおゆるしにならなかった。」と記録は語る。
 もう本も家具もなくなったパレンシアの部屋で、ドミニコは自分の生命の意味を発見する―飢えた人びとに食物を与え、自分自身までも与えることー。
 しかしどういう食物に人びとが飢えているのかを理解するまでには、もう少し時を要する。神はこれを彼に告げるために一人の死者を送る。それはオスマの司教座参事会院長ディエゴその人である。
彼は司教の依頼で教区のために人材を求めていた。ドミニコの名声は既に高かった。後にドミニコ会の会員となったエチエンヌは、列聖調査に際して、ドミニコに会うはるか以前から、彼について多くのことを聞いていたこと、特に「惜しげもなく施しをする」話を聞いていたことを証言している。
ディエゴは司教にドミニコについて話し、司教の賛同を得てドミニコを参事会に誘う。ドミニコは、徹底的に教会の人として生きる準備ができていた。彼はこの誘いに応じ、オスマの司教座参事会員となる。1196年か7年、ドミニコが二十四才か二十五才のときであった。
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聖ドミニコ女子修道会

Author:聖ドミニコ女子修道会
長い歴史があるキリスト教カトリックの女子修道会です。日本では、学校や幼稚園、児童養護施設でキリスト教に基づく教育をしています。また、教会、病院、黙想の家、その他でも<みことば>を伝えています。

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