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「聖ドミニコの生涯」

「聖ドミニコの生涯」 シスター武田教子 「オスマの参事会員」 1

学院庭2

 オスマは司祭の町だといってよい。司教座聖堂の存在、そしてそれに付随する学校、神学校、司教座参事会の匂いが町中にしみわたっている。ドミニコが一二世紀末にここに来たとき、司教座聖堂と、そのローマ式回廊は三十年程前にできあがったばかりの見事な容姿をみせていた。オスマは今平和をとりもどしていた。教会の鐘楼から流れる鐘の音は、参事会員たちに祈りの時を告げると同時に、この平和な町の住民に時を知らせていた。
 実際、この町は、周囲の荒々しい景色の中にあって、オアシスのように目に写る。周囲の丘の上には、往年の戦いの激しさをしのばせるローマの、回教徒の、そしてキリスト者の要塞が仰ぎ見られるが、オスマは、丘と川に囲まれた肥沃な平野の緑の町としてドミニコの前に現れたのである。焦熱地獄の太陽と酷しい寒さにさらされた、赤茶けた大地のひろがるカレルエガが、少年ドミニコを限りない冒険の夢へと誘ったのに対し、オスマは彼を内的沈静へと誘う。
 司教座聖堂は、十四〜五世紀に建てなおされたが、シャピートルの部屋は、その柱、アーチ型の双子窓、三つのローマ式扉も共に十二世紀のものが今に残っており、ドミニコが生き、祈った場所に触れることができる。司教座参事会員の制服である白衣に黒い合羽、尖った頭巾をつけた若いドミニコは、どんなに熱心にここで祈ったことであろうか。彼はカレルエガで福音の火を、パレンシアではその光を見いだした。今、彼は、オスマでその深い愛情に身を委ねる。約一世紀来、オスマの司教、より広くは全カスチリア地方の司教たちが取り組んでいる大事業に、自分の立場を通して協力しながらドミニコは、これまで昼となく夜となく、いろいろな形で瞑想し、問いただしてきた神のみこたばを、今や平和のうちに味わい、生きたのである。
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聖ドミニコ女子修道会

Author:聖ドミニコ女子修道会
長い歴史があるキリスト教カトリックの女子修道会です。日本では、学校や幼稚園、児童養護施設でキリスト教に基づく教育をしています。また、教会、病院、黙想の家、その他でも<みことば>を伝えています。

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