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「聖ドミニコの生涯」 シスター武田教子

「聖ドミニコの生涯」 「ファンジョー,プルイユ,ツールーズ」Ⅴ

百日草2


 ピエール・ド・カステルノーの暗殺を引き金に、教皇は十字軍を要請し、1209年6月、リオンに集合した十字軍は南仏を襲い、カタル派の町を次々に占領していく。十字軍の頭は勅使アルノー・アモリイだった。
 ドミニコが十字軍に協力したという資料は何一つない。反対に彼がこれに加わろうとしなかったという資料はいくつもある。信仰と平和のための教会の仕事の中でドミニコは自分の分を選んだ。1206年6月、モンペリエでディエゴと共にいたとき識別したもの、即ち、教会から派遣されて、キリストが弟子を派遣なさったときのようにつつましい仕方で説教することを、ドミニコは決して捨てなかった。
 それに、十字軍を要請した同じ教書の中で、教皇は、南仏の教会の責任者全員に説教活動を盛んにすることを命じていた。ドミニコは、まさにこのつとめを、静かにしかし実りをもたらしながら続けていたのである。十字軍のように華華しく日を追った記録は残っていないが、あちこちに散在する証言をつなぎ合わせると、ドミニコの活動は、この期間に、プルイユとファンジョーを中心に、東西南北、非常に広範囲に及んでいることがわかる。
この時代の逸話のいくつかをお伝えしよう。いずれもドミニコの面目躍如たるものがある。
 ある日のこと、ドミニコがプルイユからファンジョーに行こうとして歩いていたとき、こんもりとした茂みの後ろに、ドミニコを襲うためにカタル派の領主たちが送った伏兵がいた。彼らは、ドミニコを捕らえて領主たちに渡すようにと命ぜられていた。宗教的熱狂が最高の残虐行為をも正当づけたこの時代のことである。生きながら捕らえられるのは、その場で殺害されるより更に悪かったに違いない。ドミニコは、伏兵がいることを告げてくれた人がいたにもかかわらず、「喜ばしげに歌いながら」その道を通った。伏兵はその姿に圧倒されて手を出すことができなかった。
 また、ある日のことカルカッソンヌからモレアルへの途次、ドミニコが一人の伴侶と祈りながら歩いていると、突然激しい大雨となった。ところが、ドミニコと伴侶の周囲ニメートルだけはけっして雨が降らなかったので、二人は少しも濡れずにモレアルに着いた。

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聖ドミニコ女子修道会

Author:聖ドミニコ女子修道会
長い歴史があるキリスト教カトリックの女子修道会です。日本では、学校や幼稚園、児童養護施設でキリスト教に基づく教育をしています。また、教会、病院、黙想の家、その他でも<みことば>を伝えています。

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