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「聖ドミニコとはどんな方」

「聖ドミニコとはどんな方」 7 「言葉の人」 シスター武田教子

ピンクの


 ドミニコは霊魂の救いのために激しく乾いた比類のない使徒でした。彼は非常な熱意をもって説教し、兄弟たちも昼も夜も、教会でも家々でも、畠でも道でも、一言で言えば至るところで神のみことばを告げるように、そして神についてのみ語るようにと励まし、要求しました。彼は異端者を追求し、説教や公の討論やその他可能な限りの手段をもって対抗しました。
                                          ――(ナルボンヌの聖パウロ修道院院長、ギョーム・ぺイル)

 教会が、それぞれ独自の役割を持ったグループで自らを組織立てしようとしていた時代に、ドミニコは福音を告げることを役割とするグループを教会の中に設けるべきであることを直感しました。彼はオスマのディエゴ司教から、福音の説教者は、真に福音的であろうとするなら貧しくなければならないことを学びました。ドミニコはこの要求に恒常的(註5)で独自な形を与えました。
 アシジの聖フランシスコが貧しいキリストに貧しくなって従おうとしたように、兄弟ドミニコは、説教するキリストに、説教することによって従おうとしました。聖ドミニコの日中の生活は言葉に満ちていました。彼は言葉の住まいとなりました、なぜなら、人となられた神のみことばは、キリストが彼のうちに住んでおられたからです。彼は夜はこのみことばにと話し合うことに捧げました。そして昼はこのみことばについて、他の人と話し合いました。兄弟聖トマス・アキナスは、このことを見事に要約しています。説教者兄弟の役割は、観想して、観想の実を他の人々に伝えることです。
聖ドミニコは、当時の人々の目に比類のない説教者と映りました。皆がそれを証しています。ドミニコの後に従いたいと思う者は、確かに、聖ドミニコが兄弟姉妹たちに伝えた神のみことばの魅力を感じたのです。
 兄弟ドミニコは口先の達者な人というのではありませんでした。彼は議論を楽しむために論陣を張ったのではありません。彼が話すのは、自分の永遠の救いを台無しにする人々の惨めさに深く心を動かされたからでした。彼は、みことばだけが、正真正銘の神のみことばだけが人を救い得ることを知っていました。ですから、このみことばが働くために、みことばを告げ知らせなければなりません。

 ドミニコは、すぐにやり方を見つけました。説得力のある論証です。ドミニコの驚くべきところはその大胆さです。彼は、キリストに救って欲しいと思う人々に出会いに行きます。そこには二重の要求がありました。みことばを聴くべき人々のところに行かなければならないということと、みことばを告げるということは何かの役に立つという確信です。そのために彼は独特なやり方をとりました。討論です。

      パミエでも、ラヴォールでも、モレアルでも、裁定者の審判のもとに、多くの討論を行った。
     人々は信仰についての議論を聞くためにそこに集まった。
                                  ―――(ジョルダン・ド・サクス著、レベルス)

 ドミニコは頻繁にこのような出会いを行ないました。彼は、これらの討論会の中で強い影響力を持っていました。残念ながら、これらの論戦の詳細は伝わっていません。ただ兄弟ドミニコは、その論拠と信念において相手に勝っていたということだけが伝えられています。彼は明らかにみことばを内に宿している人のように話しました。彼は夜、長時間観想し続けた実りとして、彼のうちにお住みになるみことばご自身に話していただくというすばらしい域に達していました。
 これらの討論のうち、特に有名なものがひとつあります。1206年、ファンジョーで行われるたと言われているものです。互いの論は実に内容豊かであり、論拠はどちらも非常にしっかりしていたので、両陣営はそれぞれの論を書き、裁定委員会に渡すことになりました。論拠がよりしっかりしていると裁定委員会が判断した論文を書いた方が、勝利者と考えられるはずでした。
 ところが、裁定委員会は長時間議論しても意見の一致を見ませんでした。それで神の裁きによることにしました。

  彼らはふたつの論文を火に投ずることにしました。もし、ふたつのうちどちらかが燃えなければ、
    それにこそ真実なる教義が含まれていることは疑いないであろう。大きな火がたかれた。異端者のものは
    直ちに炎の餌食となった。それに反してもうひとつ、神の人ドミニコの書いたものは無傷であったばかりでなく、
    みなの目の前で炎にはねつけられて遠くに飛ばされたのである。二度、三度と火中に投げ入れられたが、
    その度にはねつけられた。          ―――(リベルス)

炎にはねつけられて飛ばされた

 もうひとつの逸話は、兄弟ドミニコが兄弟ベルトランと一緒にパリからトゥールーズに旅行したときの話です。彼らが祈り、歌うのを聞いて、ドイツ人の巡礼者グループがついて来ました。そして、一緒に食事をしようと誘い、彼らの豊かな食事を分けてくれました。このようにして4日間過ぎました。

        ドミニコはため息をつきながら伴侶に言った、「兄弟ベルトランよ、私はこれではどうしても気がとがめます。
       わたしたちはこの巡礼者たちに霊の宝を蒔くこともなく、彼らの肉の宝をいただいています。ですから、私たちが
       彼らに主イエスを告げ知らせることができるように、彼らの言葉を理解し話させてくださいとひざまずいて主に
       祈りましょう」。こうして祈った後、彼らは聞いて分かるようなドイツ語を話し出し、皆は驚き、呆れた。
                                            ―――(ヴィケール)

 兄弟ドミニコの説教を特徴づけるには一言で足ります。この一言は彼の会の標語となりました、真理。異端者の誤謬に対し、聖ドミニコは何よりも福音の勝利を欲しました。彼はこの真理への奉仕に自分の命を賭けました。

 最後に、ジョルダン・ド・サクスによる聖ドミニコの面影の一面をひいて結びとしましょう。「彼はどこでも、言葉と行いにおいて福音の人であることを示していた」。     

 彼は自分が仕える言葉を行動に移す言葉の人です。

註5、ドミニコは人々の救いを求め、無私無欲で説教する生活を制度化しました。ドミニコの会は2016年に創立800年を迎えますが、時代に適応しつつも、基本的には創立当初の目的と制度を受け継いでいます。(「熟慮の人」の最後参照)  
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聖ドミニコ女子修道会

Author:聖ドミニコ女子修道会
長い歴史があるキリスト教カトリックの女子修道会です。日本では、学校や幼稚園、児童養護施設でキリスト教に基づく教育をしています。また、教会、病院、黙想の家、その他でも<みことば>を伝えています。

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