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「聖ドミニコとはどんな方」

「聖ドミニコとはどんな方」10 『叡智の人』シスター武田教子

モルトフォンテーヌ1


      私たちの父、聖ドミニコは、もうひとつ別の祈り方もなさいました。美しく、信心深く、魅力的な祈り方です。彼は聖務日課      の後 、あるいは食事の後で皆と一緒に感謝の祈りを捧げた後に、この祈り方をなさいました。常に控え目で敬謙なこのよ     き父は、歌隊や食堂で歌った神のみことばに浸るためにいそいでひとりになれるところ、修室あるいは他の場所に行き、そ     こで神をみつめて潜心し、読んだり、祈ったりなさいました。彼は静かに座り、十字架の印をしてから何か本を広げて読み      ました。すると彼はあたかも主ご自身が言葉をかけてくださったのを聞いたかのように、心は甘美な感動を味わうのでした
                                                      ―――(聖ドミニコの九つの祈り方 第八)


聖ドミニコが説教の熱意を汲んだのは、聖書の中でした。彼はレクシオディヴィナ(聖書を味わって読む)の実行を先輩から受け継ぎ、兄弟姉妹たちに伝えました。疲れを知らぬ福音の説教者はまた、熱心な福音書の読み手でもありました。神のみことばはひとつしかありません。公に人々に告げ知らせなければならないみことばは、また歌隊席で歌い、祈りの中に読んだり瞑想したりし、黙祷の中に観想し、兄弟共同体の中で分かち合うものです。
 先に見たように、聖ドミニコは信心書も手引書も残しませんでした。しかし、彼の内的生活を支えていた要素をつなぎ合わせることによって、彼は方法論を残すよりもよいことをしてくださったことを発見します。彼は聖パウロのように「私がキリストに倣う者であるように、あなたがたもこの私に倣う者となりなさい」―――(コリントへの書簡一第十一章一節)と言うことができたでしょう。 
 フラ・アンジェリコの名で知られた天才的画家、福者フィエソレのジョヴァンニは、フィレンツェのサンマルコ修道院の修室のひとつに、聖ドミニコが座って読んでいる、感嘆すべき絵を残しました。ドミニコは若々しい顔をしています。それは彼が瞑想しているテキストの永遠の若さを反映しているからです。彼がテキストに集中し、心を奪われているのを感じます。この態度は聖ドミニコの八番目の祈りが描写しているところと一致します。次のテキストはドミニコが聖書を読んでいるときのことをよく表しているのでここに引用します。

あたかも彼は誰か仲間と討論しているかのようで、あるときは言葉や考えを伝えないではいられないかのように、あるときは静  かに聴き、議論したり討論したりしているように見えました。彼は笑ったり泣いたり、じっと見つめたり目を伏せたりし、それから   低い声でひとりごとを言い、胸を打っていました。
                                                   ―――(聖ドミニコの九つの祈り方 第八)

 換言すれば、私たちの父、聖ドミニコは、聖書、とくに福音書を読むとき、この読書に献身していました。彼は誰でも自分に話しかけている人に献身したように、読書に献身していました。証人たちは皆、彼は人々に対して最高の注意を払って接していたと言います。福音書は彼にとってひとつのテキストではなく、ひとりのお方でした。彼が書物を「死んだ皮}(当時の書物は羊皮紙でした)と呼んだことは知られています。
「人々が飢えて死んでいくとき、死んだ皮の上で勉強していることはできない」―――(兄弟エチエンヌの証言)。しかし聖書とそこで語っておられるお方についてはそうではありません。彼はあたかも主ご自身がことばをかけてくださったのを聞いたかのように、心は甘味な感動を味わうのでした。

 そうです!  これです!

 彼は福音を告げる相手のひとりひとりの中におられるキリストと出会ったように、福音書を瞑想するたびごとに主ご自身に出会ったのです。ですから彼は聖書を読むことからすぐに祈りに上り、祈りから黙想へ、黙想から観想へと上るのが常でした。これがドミニコの方法です。最も簡単な方法です。これはエルサレムからエマオへ行く道で、主がクレオパとその連れの者と出会い、共に道を歩いたときのなさり方と同じです。主はどのようになさったでしょうか?「聖書全体にわたり、ご自分について書かれていることを説明された」―――(ルカによる福音書第二四章二七節)。そうしてドミニコも、彼の後この読み方を実行するすべての人も、本から目をあげたとき、あるいは瞑想しながら道を歩くとき、「道で話しておられたとき、私の心は燃えていたではないか」―――(ルカによる福音書第二四章三二節)と言うことができます。

 ドミニコは、私たちのように毎日読まなければならない山のような書類に埋まってはいませんでした。どれもこれも必要不可欠な多くの本の重みに押しつぶされてもいませんでした。実際、彼が持っていた本はわずかでした。トゥールーズからパリへ、ローマへ、ボローニャへと長い道程を彼と共に歩いた兄弟たちが言うところによると、彼は本を持って歩き、途中、足をとめたところではその教えを長時間瞑想していました。

     兄弟ドミニコは口頭でも手紙でも、会の兄弟たちが新旧両約聖書を絶えず学ぶようにと励ましました。証人は彼がこのよう     に話したのを聞き、彼の手紙(複数)を読んだので知っています。幸いなる父は、いつも聖マタイの福音書と聖パウロの書      簡を持参し、それらを殆ど全部暗記するまで非常によく学びました。
                                               ―――(兄弟ジャン・ディスパーニュの証言)

感受性の強い、また、兄弟たちとの共同生活の中で兄弟を慰めたり、叱責したり、共に喜んだり、共に痛んで泣いたりしたように、内心に感じたことをためらうことなく表現した聖ドミニコにとって、主のことばとの接触が何を表したかを考えてみなければなりません。彼はそこで理解したところに従って歩むべき方向を転換しました。

彼は読みながら崇拝しました。本に向って礼をし、それが福音書であったときには特に愛を込めて接吻し、イエスキリスト     がご自分の口からおっしゃってくださったみことばを読みました。
                                              ―――(聖ドミニコの九つの祈り方 第八章)

 それは丁度恋人から手紙をもらった人が、情熱を込めてその手紙を何度も読み返し、読みながら感動し、この手紙を恋人の存在の現れのように考えるのと同じです。

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聖ドミニコ女子修道会

Author:聖ドミニコ女子修道会
長い歴史があるキリスト教カトリックの女子修道会です。日本では、学校や幼稚園、児童養護施設でキリスト教に基づく教育をしています。また、教会、病院、黙想の家、その他でも<みことば>を伝えています。

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