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{聖ドミニコとはどんな方」

「聖ドミニコとはどんな方」 11 「経験の人」 シスター武田教子
 
ブログ ドミニコ


 「あなた方が集まっているのは、神においてひとつの心、ひとつの霊となって共に住むためである。・・・あなた方にとってすべては共有であるように。」                                           ―――(聖アウグスティヌスの戒律)

 「戒律が言うように、私たちが共同体として集められている第一の理由は、共に住み、神においてひとつの霊、一つの心を持つことである」                                                    ―――(説教者兄弟会会憲)

 聖ドミニコの会が共同生活の上に立てられていることは議論の余地のないところです。エルサレムの初代キリスト者教会を模範にした聖アウグスティヌスの戒律を選び、最初の会憲ですでに共同生活における一致の要求を述べることによって、聖ドミニコは彼の目に本質的と映ることを強調します、すなわち使徒たちの生活です。

聖ドミニコの時代は個人主義の時代のはるかに前でした。十三世紀には、十六世紀以降のように、個人、自分の良心、自分自身の運命、から出発して考えるようなことはしませんでした。反対に、共同体、共通善、諸聖徒の交わり(通功)を考えました。

 聖ドミニコ以前の修道生活の伝統においては、ベネディクト会にしても聖ノルベルトのプレモントレ会にしても、司教座参事会も、聖ブルノーのカルトジオ会も、すべて共同体を基盤としており、聖ドミニコもそれにならいました。誰もが使徒行録に描写されているようなキリスト者生活の理想像を実現しようとしました、「彼らは心と魂を一つにして、だれ一人その持ち物を自分の物と言わず、一切を共有にしていた」。
 ドミニコが説教者の会を創立するインスピレーションを受けたとき、彼は当然これを共同体と捉えました。彼は、共に住み、共に祈り、共に説教に行く兄弟たちを望みました。

 当時の記録に見るドミニコは、いつも兄弟たちの中にいます。ひとりだけでいることはありません。それは考えられないことです。彼は、次第次第に形作られていく共同体のただ中で成長していきます。旅行するときは修道院から修道院へと行き、行った先の修道院の食卓や祈りの慣習に適応します。道中も彼は決してひとりではありません。常に、一人または数人の仲間と一緒です。いろいろな場合での聖ドミニコの態度についての貴重な証言を伝えてくれたのは彼らです。共同生活は、当時は今日より容易だったとということはありません。次の格言はいつも真実です、「共同生活は償いのための最も大きい苦行である」。

 ドミニコは共同生活を行うための資質をすべて備えていたようです。

彼は謙遜で柔和、忍耐強く、人に対して善意に満ち、穏やか、平和的、質素、謙虚、敬虔、、すべての行動と言葉において円熟しており、すべての人、特に兄弟にとって慰め手、規律遵守の生活においては比類なく熱心で、清貧の比類ない愛好者・・・彼は兄弟たち、及び不幸や試みの中にいる人々にとってはすばらしい慰め手でした。このことを私は自分自身の経験から、また他の人々の経験から知っています。                                        ―――(兄弟アミゾの証言)

共同生活とは、聖ドミニコにとって、同じ建物に一緒に住むということだけではありませんでした。共同生活がよく行われるためには不可欠な要素として、心の一致がなければなりません。第一義的には、同じ心を持つことです。平常の生活の中でも、これはそう容易なことではありませんが、それに留まらず、この共同生活の責任を一緒にとるという意味においてもです。この組織をリードした格言は、「皆が生きることは皆で決めなければならない」というものです。

 説教者兄弟会の共同生活は、よく研究されたいろいろな会議の上に成り立っています。通常、兄弟は決して一人で住みません。彼は修道院の中に住みます。言い換えれば、彼は交わりの中に住みます。修道院では定期的に会議があります。発言権のある兄弟たちは会議に集まります。ここですべてが決定されます。修道院長もそこで選挙されます。そこで、修道院の使徒的活動の大きな方向付けをします。必要なら日常の時間割もそこで決めます。

 修道院は集まって管区を形成します。各管区も、その管区のことを決めるために管区会議を開きます。説教者兄弟会を構成する全管区は三年毎に総会議に集まり、総会議は、説教者兄弟会の本質的な召命以外、すべてを決定する権限を持っています。
 このように生きるためには、心の一致が必要です。これがなければ、民主的と称する多くの集会で行われるように、自分たちのグループの利益を守る個々人の並列となってしまいます。心の一致がなければ、交わりのある共同体ではなく集団になってしまいます。これは聖ドミニコの考えではなく、計画でもありません。聖ドミニコは、最初からこの共同体的統治の危険を見、これが共同体として続きかつ統治可能であるような手段を備えました。ここにおいて彼はまさに天才です。

 初期の兄弟たちは、この会が創立者の祈りによって立っているのは明らかであると思っていました。今日の兄弟たちもそれを確信しています。
 共同生活をしたことのあるものは誰でも、それが成功するためにはそのための値を払わなければならないことを知っています。この値とは、自分のすべてを与えること、自分のことを考えないこと、取り返す思いなしに、自分を他の人々に渡してしまうことです。
これが聖ドミニコの考えの中の清貧でもあります。自分のために何もとって置かないこと、受けたものをすべて与えること、福音の論理に従って、すべてを得るためにすべてを失い、兄弟たちに対して、恩人に対するように、従属して生きることです。

     すべての人が、彼の心の無限愛の中に抱かれた。彼はすべての人を愛したので、すべての人も彼を愛した。彼は喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣くことを自分の法としていた。慈悲心に動かされて、貧しい人や不幸な人の世話に身を捧げた。
                                            ―――(ジョルダン・ド・サクス著、ドミニコ会創立史)


                             
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聖ドミニコ女子修道会

Author:聖ドミニコ女子修道会
長い歴史があるキリスト教カトリックの女子修道会です。日本では、学校や幼稚園、児童養護施設でキリスト教に基づく教育をしています。また、教会、病院、黙想の家、その他でも<みことば>を伝えています。

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