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[聖ドミニコとはどんな方 ? ]

「聖ドミニコとはどんな方」14 「行脚の人」 シスター武田教子

道

 ひとつの場所から他の場所へと歩いているとき、特に淋しい地方を通るとき、聖ドミニコはよく祈っていらっしゃいました。彼のこの上ない喜びは、瞑想にふけること、観想に浸ることでした。時には歩きながら仲間におっしゃいました。「ホセア書に、私は私の花嫁を荒れ地に連れて行き、その心に語りかけよう、とあります」。それで彼は仲間から離れて先に行ったり、たいていの場合は距離を置いて後からついて行きました。このようにして彼はひとりで歩き、祈っていました。彼の愛の火は彼の瞑想の中に一層の熱意を汲み取りました。                                      ―――(聖ドミニコの九つの祈り方 第九)

 聖ドミニコはよく歩いた人です。遠距離の移動だけあげても、彼はトゥールーズからローマへ、ローマからボローニャへ、ボローニャからパリへ、パリからマドリッドへと歩き回りました。9年間のファンジョー滞在の間に、彼はこの地方のあらゆる小道を東西南北に歩きました。ある歴史家は、彼は一日五十キロメートル歩いたであろうと計算しています。このためには多くのエネルギ―と多くの時間が必要です。この時間を利用してドミニコは祈りました。
行脚しながらの祈りは、彼の祈りの中でおろそかにできない面です。道は聖ドミニコにとって、彼の魂の力、犠牲の精神、観想の愛、説教の熱意を表す特に優れた場だったでしょう。。道はまことに彼にとって開いた修道院、世界を巡りながら祈る修道院であったことでしょう。
 行脚の同伴者であった兄弟ブオンヴィゾは、聖ドミニコの旅行についていろいろな記述を残してくれました。彼の記述で、ドミニコはしばしば裸足で歩いたことがわかります。

     ローマに行く途次、一つの町か村を出ると、兄弟ドミニコは靴を脱ぎ、肩にかけて裸足で歩きました。次の町や村に着くまで
    いつもこうなさいました。町や村に着くと靴を履き、そこを出るとまた脱ぐのでした。

 この同じ兄弟は、激しい雨の中でも歩いたと語っています。兄弟ドミニコはいつも同じように喜ばしげで、大きな声でアヴェ マリステッラ(聖母マリアへの祈り)を歌いながら主を称えました。この歌が終わるとヴェ二 クレアトル(聖霊への祈り)を歌い始め、大きな声で最後まで歌いました。この兄弟はそれを非常に感嘆して書いているので、彼自身は雨宿りをして激しい雨が通り過ぎるのを待ちたかったのであろうと推測することができます。皆が聖ドミニコではありません!

    旅行の間、ドミニコと仲間たちは兄弟たち、あるいは姉妹たちのところ、あるいは泊めていただけるところに宿をとりました。
   こういうときドミニコは、兄弟たち、およびその場の状況に完全に適応なさいました。
    どこかに泊めてもらうとか、どこかで食事をしなければならないとき、兄弟ドミニコは自分の思い通りではなく、一緒にいる
   兄弟たちの思い通りになさいました。

 行脚は常に主を賛美し福音を告げ知らせる機会でした。

     兄弟ドミニコは、道を歩いていたとき、いっしょに歩いている人々に自分が、あるいは他の誰かが神の言葉を話すことを欲
    しました。道々、兄弟ドミニコは常にスコラ(註8)風の討議をしたり、神について話
    したり、読んだり、祈ったりしていました。

 これらの長い行程の間、兄弟たちは自分たちが学んだことについて討論したり、休んだところで福音を告げたりする時間があったと想像することができます。しかし道は特に祈りに適しており、歩きながら、あるいはちょっと教会に寄って祈りに沈潜する機会を逃してはなりません。兄弟ヴェントゥーラはこのことを証言しています。

     宿泊場所に着いたとき、そこに教会があれば彼は必ず祈るために教会に行きました。また、自分の修道院以外にいるとき
    も、朝課の最初の鐘の音と同時に起き、兄弟たちをも起こしました。

 行脚中、聖ドミニコはいつも巡礼者でした。彼は絶えず祈り、説教し、兄弟愛や清貧を実行していらっしゃいました。自分の健康が危ぶまれても守り通しました。路上で死ななかったのは不思議です。彼はボローニャに着いたときは衰弱し切っていて、もう出かける力は残っていませんでした。
 彼の伝記を書いたジョルダン・ド・サクスは、ドミニコの旅する者としての生涯はボローニャで終わったと言います。実際、オスマの参事会を出て以来、ドミニコは歩き続けました。最初彼は、必要とする人に福音をもたらすために歩きました。ついで彼は、会を新設するために、町から町へと歩きました。
 生涯の終わり頃、自分の主要な役務は世界に散らした兄弟たちを組織立て、励ますことであると考え、彼は彼らへの心づかいに溢れて、ひとりひとりのもとへ行きました。
 聖ドミニコは不信仰者のところへ福音宣教に行きたいという望みをしばしば表していましたが、この計画を実行することはできませんでした。しかし、彼の会は、福音がすでに告げられている国を超えて、まだ福音を聞かなかった人々のところへ行こうという心づかいを常に持ち続けています。この仕事が終わらない限り、聖ドミニコの子供たちは、道を歩き続けるでしょう。


 (註8) スコラ学的方法は1200年以降の中世の「学校」(schola)に共通な教授と学習の方法。学問の諸問題を、互いに対立する立場から、理性が「弁証論的に」探求し、厳密な知識を獲得してゆく方法で、教師による「講読」(権威を認められたテキストの解説あるいは注解)と「討論」がその特徴。このような方法の有効性を哲学、神学の領域で最初に正当に評価したのは説教者兄弟会士、大アルベルトゥスでした。大アルベルトゥスの生徒であった、同じく説教者兄弟会士、アキノのトマスの「神学大全」はスコラ学の精神と方法を最もよく実現した傑作といえます。



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聖ドミニコ女子修道会

Author:聖ドミニコ女子修道会
長い歴史があるキリスト教カトリックの女子修道会です。日本では、学校や幼稚園、児童養護施設でキリスト教に基づく教育をしています。また、教会、病院、黙想の家、その他でも<みことば>を伝えています。

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